島の歴史
ヌーナックル、クンバメリなどの先住民族が、更新世時代からこの島に定住していました。モートン、ノースストラドブローク、サウスストラドブローク島は、かつては地続きで、サウスポートピットから細く長く伸びた半島を形作っていたと考えられています。1898年、荒海がジャンピンピンの細い地峡を切り裂き、サウスストラドブローク島は、一つの独立した島になりました。
この半島のおかげで、本土の先住民にとって、島の先住民を訪れるのは容易だったことがうかがえます。(社会交流や食料の交換のため、特に海の滋味)先住民は、島の一箇所に定住するわけではなく、遊動的で、完璧に自然と調和して暮らしていました。 入植初期の白人監督官が記したように、彼らの強さ、明らかに良好な健康状態はおそらく、質の高い自然の恵みによるものでしょう。魚介類だけでなく、カメ、ワラビー、ヘビ、トカゲ、ハリモグラ、バンディクートも栄養摂取源でした。はちみつ、ベリー、果物が豊富に採れ、炒ったシダの根を挽いて製粉もしました。
Couran―キューランあるいはQuaran―クアラン(初期の地図上では異なった綴りで記されています)は、先住民語で「モートンベイの灰」「長男」「ジュゴンのスカート」(部族により異なります)を意味します。かつては、漁師やカキ採取のベースとして使われましたが、キューランは1920年代に、農地として細かく分割されました。漁業、カキ採取のライセンスを所持していれば、隣接した土地に居住ができたので、漁師たちはそのまま住み着きました。そのため土地を買い上げた人々は、その後の20年生計を立てるのにもとても苦労しました。
1887年のスコティッシュプリンス号や1994年のキャンバスワレス号のように、海岸線沖で船が座礁したことにより、予期しない訪問者も島にやってきました。キャンバスワレス号に積載されていた大量のダイナマイトが後に爆発し、その結果、砂丘に大きなクレーターを作り、次第に地下水が溜まってクレイトン湖を形成しました。
今日、州政府、地元政府共に、サウスストラドブローク島の娯楽的価値を認めています。クラウンランドすべてが、ゴールドコースト市信託統治委員会の下、自然保護公園となっています。5代に渡る白人入植者と、数えられない長い世代に渡る先住民は、この島の他にない特質を守ってきました。未来の世代の人々もまた、この島の魅力を十分に楽しめるよう、現在検討中の計画は、細心の注意を払い進められています。
ホリデーを楽しむ人にとって、この島はとても魅力的で、早くも1897年には、設立者レジナルド・ローにちなんで「ローズキャンプ」と呼ばれる休暇施設が造られました。
現在インターパシフィックリゾートは、島の北部分60ヘクタールを所有し、数々の賞を受けたエコツーリズムリゾート、クーラン・コーブ・リゾートを開発してきました。島の自然美を余すところなく紹介し、またこの島が自ら醸し出す魅力と特性をお客さまに体感していただくために、スタッフ一同全力で取り組んでいます。この決意とエコツーリストの情熱により、美しいこの島の色あせるこのない輝きは、愛しまれ、そして未来へと大切に受け継がれることでしょう。








